大分地方裁判所 昭和58年(行ウ)6号 判決 1991年6月25日
原告
加藤サト子
右訴訟代理人弁護士
河野善一郎
右同
吉田孝美
右同
岡村正淳
右同
柴田圭一
右同
西田收
右同
古田邦夫
右同
加来義正
右同
徳田靖之
右同
工藤隆
右同
指原幸一
右同
濱田英敏
右同
小林達也
右同
西山巌
右同
牧正幸
右同
富川盛郎
右同
神本博志
同右
安東正美
同右
中山敬三
右同
安部和視
右同
川口憲彰
原告代理人河野善一郎復代理人弁護士
山崎章三
右同
平山秀生
右同
麻生昭一
右同
鈴木宗嚴
右同
河野聡
被告
佐伯労働基準監督署長
友永肇
被告指定代理人
白石芳明
外九名
主文
被告が昭和五五年八月一日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 訴外加藤登記治(以下、「登記治」という。)は、昭和一〇年ころから、各地の隧道工事の現場等で働いてきたが、昭和五一年二月に最終的に離職し、その間の一六年五か月を粉じん作業に従事した。
2 登記治は、昭和五一年八月、大分県佐伯市の佐伯保健所で検診を受けたところ、けい肺を指摘され、また同年一〇月六日、同市内の医療法人長門莫記念会上尾病院(以下、「上尾病院」という。)で動脈硬化症、高血圧症、けい肺結核の診断を受けた。
3 そこで、登記治は、昭和五一年一〇月二二日、じん肺管理区分の申請をし、じん肺法四条二項(昭和五二年改正前)による健康管理区分三の決定を受け、その後、昭和五二年八月二日、再申請をし、同年九月七日、大分労働基準局長から、「健康管理区分四要療養」の決定を受けた。
4 以後登記治は、上尾病院で通院治療を受けていたが、昭和五三年七月二七日午後二時四〇分ころ、佐伯市霞ケ浦三七三番地の二所在の自宅において、土間の梁に麻縄を掛けて縊死した(以下、「本件自殺」という。)。享年七四歳であった。
5 原告は、昭和一〇年ころ、登記治と婚姻し、以後登記治の収入によって生計を維持していたものであり、登記治の葬祭を行う者であるが、登記治の死亡は業務上の事由による死亡に該当するとして、被告に対し、昭和五三年八月一二日、労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)に基づいて遺族補償給付及び葬祭料の支給の請求をしたところ、被告は、昭和五五年八月一日、右各給付を支給しない旨の処分(以下、「本件処分」という。)をした。
6 これに対し、原告は、本件処分を不服として、昭和五五年八月三一日、大分労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、昭和五六年七月二九日、棄却されたので、さらに労働保険審査会に再審査請求したところ、昭和五七年一二月二三日、これも棄却され、昭和五八年四月八日、その旨の通知を受けた。
7 しかしながら、本件自殺は、以下に述べるとおり、登記治が、長期間の粉じん作業に従事した結果、「けい肺結核症」に罹患し、その病気による死の恐怖や不安、身体症状の苦痛等によって生じた、いわゆる心因性の「抑うつ状態」という精神障害を来して、発作的、衝動的に実行したものであって、本件処分が不支給の理由とした労災保険法一二条の二の二第一項には該当せず、業務上の事由に起因する疾病の結果として生じたものであるから、本件処分は違法というべきである。
(一) 本件自殺前の登記治の身体症状及び治療状況等
(1) 登記治は、明治三七年四月二五日、出生し、昭和一〇年に原告と婚姻したころから各地の隧道工事に従事し、戦後も昭和二二年以降昭和五一年二月に七二歳で最終離職するまで、ダム隧道、銅山、炭坑等の現場で働き、その間の粉じん作業の実働期間は、一六年五か月の長期に及んだ。
(2) 登記治は、原告との間に四女を儲けたが、いずれも既に結婚して独立し、離職後死亡時までは登記治と原告の二人暮らしであって、その間の生計は老齢年金と後に支給されるようになった労災給付金月額八万五〇〇〇円位とで維持されていた。
登記治は、元来几帳面で真面目な性格であり、気が小さく心配性で内気でもあり、また外面は良いが家庭では気難しい堅物という面があったものの、精神神経疾患の既往歴は、内因性精神障害を含めて一切なかった。
(3) 登記治は、昭和四九年一二月二日(当時七〇歳)から昭和五一年一〇月(当時七二歳)まで、頭痛、めまい等を訴えて、佐伯市内の東内科医院に通院し治療を受けていたが、昭和五一年五月か六月ころから、胸部痛や病気の恐怖心があって抑うつ気分を訴えるようになり、昭和五一年八月に佐伯保健所の検診で初めてけい肺であることを指摘され、さらに同年一〇月六日、上尾病院で主治医の長門宏から動脈硬化症、高血圧症、けい肺結核との診断を受けた。
(4) そこで前記のとおり、登記治は、じん肺管理区分の申請をして「健康管理区分三」の決定を受けたが、右区分では労災保険給付が受けられないため、昭和五二年四月に再申請をしたものの、右区分は変更されず、同年八月二日の再申請により、ようやく同年九月七日、「健康管理区分四要療養」の決定を受けて労災保険給付を受けるようになった。
(5) ところで登記治は、昭和五一年一〇月六日から上尾病院に通院するようになったが、同年一一月一五日には中等度抑うつ状態と診断され、同年一二月二〇日にはうつ状態との診断がなされて、即日入院し、その後昭和五二年四月八日まで入院治療を受け、さらに、同年五月六日から同月一八日までの間は、高血圧性脳症、動脈硬化症の病名で入院し、その退院後は、死亡時までほぼ二週間に一回程度の通院治療を受けていた。
(6) 昭和五三年になってからも、登記治の通院には原告や娘らが付き添っていたが、登記治は、通院時以外は、家にいたり、運動のため近くの大師にお参りに行ったり、近所に居住している次女や三女と時々会うなどして、日々の生活を送っていた。
(7) しかし、本件自殺前の最後の通院となった昭和五三年七月一四日の診察時には、登記治は、呼吸困難四度、心きこう進、胸痛、背痛等の身体症状の苦痛の他に、全身倦怠、脱力感、意欲減退等の抑うつ感を訴えていて、抑うつ状態の精神障害があった。
(二) 本件自殺直前の登記治の状況
(1) 昭和五三年七月二六日、登記治は、次女の久保田澄江(以下、「澄江」という。)が自宅に立ち寄った際、翌二七日に病院に行くのに付き添ってくれるよう頼んだが、同女の都合で翌々日の二八日に通院することになった。
(2) 翌二七日、登記治は、朝食を普通どおりに食べ、大師に参った後、昼食を済ませ、午後二時ころ、原告に澄江方に電話をさせて、明くる日に病院に付いて行ってくれることを確認したが、さらにその日は病院の他に労災関係の書類を提出する用事があったことから、原告に再度澄江方に電話をさせてこれらのことを確認したところ、澄江が、「病院も書類も一緒じゃから心配せんで良いじゃ。」などと答えたので、登記治も納得した様子であった。
(3) ところが、登記治が、その直後に原告に対して、「明日行くのに書類が変わったから、印鑑がいる。」と言い出したので、原告が、「医者に行くのにいらんのにな。印鑑はおまえが持っちょるき、おまえが持っていこうと思や持っていけば良いわ。」と返答したのに対し、登記治は、「ただ俺をいらぶかす(軽視する)。」といって不機嫌になったので、原告は小言をいわれるのを避けるため外出したが、その間の同日午後二時四〇分ころ、土間の鴨居に麻縄をかけて縊死した。
(三) 自殺と業務起因性との関係
(1) 業務上の疾病により療養中の被災者が自殺した場合に、それが業務上の事由による死亡とされるためには、自殺意思の形成が業務ないし業務上の疾病と相当因果関係があることを要し、かつこれをもって足りる。この場合には、労災保険法一二条の二の二第一項は適用されない。
(2) 自殺意思の形成がうつ病等の精神障害による場合は、うつ病等への罹患と業務ないし業務上の疾病との間に相当因果関係があることを要するが、この場合、業務ないし業務上の疾病がうつ病等への罹患の唯一の原因である必要はなく、他の要因と共働し、あるいは被災者の私病たる基礎疾病がその原因に関与していても、それらが共働原因となってうつ病等を発症せしめたと認められる場合は、相当因果関係を認めることができるというべきである。
(四) 本件自殺の業務起因性
(1) 心因性のうつ状態の原因となる精神的心理的葛藤には様々なものがあるが、一般には葛藤の原因となっている事情が解決又は消失することによって、そのうつ状態も改善されるものとされている。しかし、登記治の罹患していたけい肺結核症は、それ自体決して軽快しない不可逆性のものであり、すでに粉じん作業を離れているのに、登記治の肺機能障害は亢進して管理区分三から四に増悪した。また、登記治自身も、この病気が不治であることを知っていて、その不安を家族に漏らしていたし、上尾病院の担当医師にもこの病気に対する不安、死の恐怖などを何回も訴えている。
すなわち、登記治には、昭和五一年五、六月ころから、胸部痛などの身体疾患を苦にした抑うつ感が生じ、けい肺であることを指摘された後である昭和五一年一〇月六日上尾病院に通院を始めてからは、以下に述べるとおり、抑うつ感は急激に高くなり、この状態は入院後も持続し、死亡時まで改善されることはなかった。
① 登記治は、昭和五一年一〇月六日の初診時は、食欲不振、不眠、気分不良を訴え、同年一一月一五日の診察時には、「身体がだるく目をあいているのがよだきい。こうなれば人間が嫌になる。」旨訴えて、中等度抑うつ状態との診断がなされ、すでにこの時から「自殺念慮」の存在を指摘されており、また同じく同年一二月六日には、「身体がすぐに疲れるし、このまま死んでしまったらと思うことがある。入院させて欲しい。」などと訴え、呼吸困難度Ⅳとの診断がなされ、同月二〇日にはうつ状態()との診断がなされて即日入院した。
② その後、登記治は、昭和五二年一月八日の診察時に、入院で改善されたがまだ病気の不安があるので、自宅よりも病院が安心できる旨訴え、同月三一日には食欲減少(+)との診断がなされ、同年二月六日には、「自分はこれ以上生きなくてもよい。自分の心臓は必要な人に提供したい。」などといい、担当医師は死の恐怖に対する不安からの発想だろうとの判断をしており、同年三月四日には、「自分は(みかんの出荷などを手伝ってくれる)男の子がいたらと思う。」と訴えて担当医師に対し病気の不安があることを認め、また、同月二一日には、「就寝前に死の不安があったりする。死ぬときには死水は子供から貰いたいとの気持ちがある。」などと漏らしていた。
(2) 右のとおり登記治の抑うつ状態は、けい肺結核症が不治の病であることから、まずこのけい肺に関する精神的心理的葛藤に起因して発症したものであり、その他に死亡時まで呼吸困難その他の身体症状に悩まされ続け、その結果抑うつ状態もなお持続していたものである。しかも重要なことは、右の抑うつ感の中に希死念慮が鮮明に表明されていることであり、登記治の場合は典型的な「自殺志向型」のうつ状態であった。
このように、登記治は、けい肺結核症による死の恐怖や不安並びに身体症状の苦痛等の心因によって抑うつ状態という精神障害を来し、本件自殺当時にもこれが持続し、前記家族とのささいな言動が引き金となって、右精神障害により発作的・衝動的に自殺を敢行したものであるから、本件自殺には業務上の疾病であるけい肺結核症との間に相当因果関係があるというべきである。
(3) 本件自殺当時、登記治は脳動脈硬化症に罹患していたが、仮にこれにより登記治が軽度痴呆の状態にあったとしても、痴呆が発現したのは、昭和五二年三月ころからであり、既にけい肺結核症による心因を原因とする抑うつ状態がこれに先行して発症していたものであるし、痴呆そのものは、本来自殺とは関連性を持つものではなく、むしろ痴呆の無批判性は環境に対する満足感をもたらすものであるから、右軽度痴呆状態が自殺についての直接かつ主働的素因とはなりえない。また、脳動脈硬化症がうつ状態を起こしやすい基礎疾病であるとしても、登記治の場合は、けい肺結核症による心因がそれと共働して抑うつ状態の精神障害をもたらしたものというべきであるから、いずれにしても本件自殺には業務上の疾病であるけい肺結核症との相当因果関係を認めるべきである。
よって、登記治の死亡について、業務上外のものであると認定してなした被告の本件処分は違法であるから、その取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし6の各事実は認める。
2(一) 請求原因7の冒頭事実のうち、登記治がけい肺結核症に罹患していたことは認め、その余の事実は争う。
(二) 同7の(一)の(1)ないし(7)及び(二)の(1)ないし(3)の各事実は認める。
(三) 同7の(三)の(1)、(2)は争う。
(四) 同7の(四)の(1)の冒頭事実のうち、けい肺結核症が不可逆性のものであること、登記治がこの病気の不安を家族に漏らし、医師に訴えたこと、うつの程度の点を除いて抑うつ状態が登記治の死亡時まで続いたことは認め、その余の事実は否認する。
(五) 同7の(四)の(1)の①及び②の各事実は認める。
(六) 同7の(四)の(2)の事実は否認する。
(七) 同7の(四)の(3)の事実のうち、登記治が本件自殺当時脳動脈硬化症に罹患していたことは認め、その余の事実は否認する。
三 被告の主張
1 本件自殺と登記治の罹患していたけい肺結核症との間には相当因果関係はなく、本件自殺は労災保険法一二条の二の二第一項に該当するから、原告に対して遺族補償給付金及び葬祭料を支給しないとした被告の本件処分は適法である。すなわち、
(一) 労災保険法一二条の二の二第一項は、業務上の疾病による療養中に死亡した場合であっても、その死亡について、その労働者の故意による自損行為が介在している場合は、業務起因性を否定している。
(二) そこで、業務上の疾病により療養中の労働者が自殺した場合に、それが業務上の事由による死亡とされるためには、①当該自殺が、その労働者の故意を否定しうる状況の下でなされたこと、すなわち自殺時の精神状態が、極度の精神異常又は心神喪失の状態にあり、かつ、②当該業務上の疾病と右心神喪失等の状態をもたらす原因となった精神障害との間に相当因果関係があることが必要である。
(三) そして、右にいう相当因果関係とは、心因性精神障害の場合は、その成因のうち、業務に関連する精神的原因が相対的に有力な原因であると認められること、すなわち、具体的には①心因性精神障害を発症させるに足る十分な強度の精神的負担が業務と関連して存在したこと、及び②右業務以外に他の有力な発症原因となるような精神的負担や個体の側の要因が存在しないことをいう。
2 ところで、登記治に発現した精神障害は、器質性(外因性)かつ心因性の精神障害であり、脳動脈硬化症による痴呆の症状であって、けい肺結核症が原因となって発現したものではなく、けい肺結核症と自殺との間には前述したような相当因果関係はない。すなわち、
(一) 登記治の罹患していたけい肺結核症は、もともと軽度のものであるうえ、本件自殺直前にはむしろ軽快に向かっていたものである。
原告は、登記治の肺機能障害は亢進して健康管理区分三から四に増悪したと主張するが、登記治の場合は、管理区分三及び四(いずれも昭和五二年の改正前のじん肺法による決定である。)のいずれも、エックス線写真の像は同じ第一型で、ただ区分三の場合、「じん肺による高度の心肺機能の障害その他の症状がなく、かつ、病勢の進行のおそれがある不活動性の肺結核があると認められる。」との判断を前提としていたのに対し、エックス線写真上の像からの再診断の結果、「活動性肺結核があると認められる。」との判断に変ったところから、区分四に変更されたまでのことであって、特に心肺機能の障害が認められたり、現に排菌が検出されたりしたことによるというものではないから、右区分の変更が直ちに肺機能障害の著しい悪化を意味するものでないことは明らかであり、登記治には、その後も排菌は認められておらず、本件自殺直前までは退院して通院加療するなど、右肺結核が亢進したことを窺わせるような様子もなかった。
(二) また、登記治に発現した抑うつ状態等の精神障害の程度も軽度のものであって、特に昭和五三年三月以降から死亡時までは軽度抑うつ状態が継続し、同年七月当時は、ある程度精神症状は落ち着いたものであった。前記のとおり、登記治のけい肺結核症それ自体が重いものではなく、これによる肺機能障害も軽度ないし中程度のものであって、これによって呼吸困難を来して日常生活に支障を及ぼすなどということはなかったうえに、登記治自身も自己のけい肺結核症がさほど重くないことは担当医師から説明を受けて十分承知していたものであり、療養態度も良好で治療に対して最後まで希望を持っていたのであるから、けい肺結核症が登記治の心因に与えた影響は、精神障害を発生させるに足る強度の精神的負担といえる程のものではなかったし、けい肺結核症が登記治の精神的障害を引き起こした有力な原因になっているともいえないものなので、登記治がこれを苦にして、心神喪失等の状態で自殺したものとは到底考えられず、本件の場合には、けい肺結核症と自殺との間に相当因果関係を認めることはできない。
(三) ところで、登記治の本件自殺当時の精神状態は、軽度痴呆状態かつ軽度抑うつ状態であった。そして、この軽度抑うつ状態が自殺準備状態をつくり、軽度痴呆状態により、短絡的かつ衝動的に自殺を図ったものである。この軽度痴呆状態の原因疾患となったものが、登記治の加齢と本態性高血圧症によってもたらされた脳動脈硬化症であり、その痴呆の程度は、感情の抑制欠如を主症状とした日常生活に支障をきたさない程度の軽度のものであった。他方、軽度抑うつ状態の原因としては、器質的なものと心因によるものとがあるが、器質的原因として考えられるものは脳動脈硬化症そのものであり、これによる軽度痴呆状態が感情の抑制機能を阻害し、恐怖と不安、葛藤等を増大させ、抑うつ状態を引き起こしたものである。その抑うつ状態の増大(増悪)要因である心因の内容は、(1)妻に対する葛藤、(2)通院に対する欲求不満、(3)けい肺結核症による死の恐怖と不安であるが、けい肺結核症は、登記治の軽度抑うつ状態を増悪させた心因の一つに過ぎないものであるから、本件の場合には、けい肺結核症と自殺との間に相当因果関係を認めることはできず、従って、登記治の自殺を業務上の事由による死亡ということはできない。
四 被告の主張に対する認否及び反論
1 被告の主張1は争う。
労災保険法一二条の二の二第一項に関する被告の主張は、業務上の疾病と死亡(自殺)との間の因果関係の認定に関し、実質上相当因果関係以上のものを要求するものであって、不当である。右規定における「故意」は、業務上の原因と無関係に労働者が行う自損行為における「故意」を指すものというべきであり、業務上の疾病等により自殺念慮が形成されて自殺に至った場合における自殺意思は、右規定にいう「故意」には含まれないと解すべきであって、特別に心神喪失等の要件を定立する必要性は全くない。また、被告の主張する相対的有力原因説は、相対的に有力な原因の存在を要件としながら、他方で「他に有力な発症原因となる要因のないこと」を要求するものであるから、これは絶対的に有力な原因を主張するものに他ならず、背理という他はない。そもそも一般の不法行為における相当因果関係よりも、無過失責任である労災補償制度の相当因果関係の方が、より厳しい要件を課せられるという理由は全くない筈である。
2 被告の主張2のうち、登記治が脳動脈硬化症に罹患していたことは認め、その余は争う。
原告が、登記治の肺機能障害の増悪を主張するのは、単に管理区分が三から四になったことのみを理由とするものではない。むしろ管理区分決定に際しての臨床医師の総合的評価により、肺機能障害の程度がF2(中等度)からF3(高度)に認定されていることに右障害悪化の根拠をみているのである。
また、被告は、昭和五三年当時の登記治の抑うつ状態は「軽度」であったと主張するが、この当時登記治からは、呼吸困難等の様々な症状と共に、抑うつ感、起床時気分不良、睡眠障害、意欲減退等が連続して訴えられており、決して「軽度」とはいえないものであった。
さらに、被告は、登記治の抑うつ状態をもたらした心因の一つに妻との葛藤及び通院に対する欲求不満を挙げるが、原告と登記治との間には、感情の行き違いによる多少の関係不良の面がなかったとはいえないものの、これも葛藤というような性質のものではなく、また通院についても原告が老齢で耳が悪いために、登記治の納得のうえで娘達が付き添っていたに過ぎず、いずれにしてもこれらを原告のみに責任のある事情として心因の一つに挙げるのは相当でない。仮にそれらが心因の一部にあったとしても、結局は、けい肺結核症による療養生活に関連して派生的に生じたものであるから、右病気と無関係の心因とみることはできないというべきである。
第三 証拠<省略>
理由
一争いのない事実
請求原因1ないし6の各事実、同7の冒頭事実のうち登記治がけい肺結核症に罹患していたこと、同7の(一)の(1)ないし(7)及び同7の(二)の(1)ないし(3)の各事実並びに同7の(四)の(1)の①、②の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二事実の経過について
右争いのない事実の他に、<証拠>を総合すると、登記治が最初に上尾病院に入院した後、退院する前後ころから自殺するまでの間に、なお以下のような事実が認められる。すなわち、
1 登記治は、昭和五一年一〇月六日入院患者の約八割(一五〇名弱)がじん肺患者という上尾病院に入院したのであるが、その入院中の昭和五二年三月末ころから食欲が低下し、四月初めころから、夜間徘徊のほか、夕食を済ませたのに食べてないと述べたり、タバコの火を消さないまま廊下に落としたり、或いはここはどこじゃろかと言ったりする健忘や見当識欠如などの異常な行動が現れるようになり、内科専門の同病院では登記治の管理に困難が生じてきたことから、四月八日、退院を余儀なくされたものの、四月一八日の通院時には、はやくも「家に居るといつ悪くなりはしないかと心配なので、もう一度入院したい。」と訴えており、四月下旬には自宅近くでふらついて田圃に落ちたりした。
2 そして、登記治は、昭和五二年五月六日の夜、自宅において、入浴後に突然意識を失って倒れ、直ちに救急車で上尾病院に運ばれて再入院し、酸素吸入などの処置を施されたが、数日経過後も、病室のベッド周辺で昔の仕事をするような動作をするなどの作業せん妄が現れて意識障害が継続し、その後次第に症状が軽快して、五月一八日、退院し、以後はほぼ二週間に一回程度の割合で通院治療を受けていた。
3 しかし、退院後の登記治は、各種の検査結果がかつて一人で通院していた当時のそれと大差がないにもかかわらず、最早単独で通院する気力が失せてしまって、昭和五二年五月二五日、一〇月二一日及び一〇月二七日の一人で通院した三回を除いては、原告や澄江、三女の庭瀬繁子(以下、「繁子」という。)らの付添いを受けなければ通院できないようになり、原告ら三名が交替で付添いを続けていたが、同年秋ころから、原告が老齢で耳が遠いことや繁子の仕事の関係などから、主に澄江がその付添いを引き受けることになった。
4 この間登記治は、じん肺健康管理区分三の決定に対し、要療養の認定を受けるため、昭和五二年四月に再申請をしたものの、右決定が変更されず、八月二日に再申請をして労災給付の通知が来るのを心待ちにし、毎日郵便受けを覗きにいっては、「まだ来ない。」などと歯がゆがったりしていたが、ようやく九月七日に管理区分四要療養の決定がなされ、その通知を受けてからは気分も非常に落ち着いてきて、前記のとおり、一〇月には連続して二回一人で通院するなど、精神症状の改善が見られて、一一月八日の通院時には、医師に対して、区分四決定以降の気分の落ち着きを自ら報告し、また、不整脈も著しく減少した。
5 ところが、昭和五二年一一月末ころ、登記治は、自宅で転んで仏壇の角で頭を打ち、三針縫う怪我をし、一二月に入ると痴呆症状が増強したり消失したりしていたが、昭和五三年一月四日の診察日には、医師に対し、補償金が降りているはずなのに、家族の者が内緒にしていて自分には何も教えてくれないし、原告が去年の暮れから娘の家に行っていて面倒を見てくれないなどと訴えたので、担当医師は、繁子に電話で問い合わせたところ、労災給付金は預金通帳に全額入れて登記治に渡して自由にさせているし、原告が身を寄せてきたのも、登記治が原告を叩くからであるとの回答があり、家庭内に金銭を巡って何らかの葛藤があるのではないかと疑った。
6 その後、登記治は、昭和五三年一月一〇日の診察で、痴呆症状が残存しているとの診断を受け、一月一七日の診察日には、再び不整脈が出現し、以後右症状は一進一退を繰り返したが、二月七日の診察日には、「時々悪くなる時がある。悪くなった時は人がいうのはわかるが、すぐに忘れてしまって何と返事していいか分からなくなる。」と訴え、また、三月二三日の診察時には、「近頃、気がイライラする。」と言って、その表情も痴呆状態を示し、そして、四月以降は自宅でも塞ぎ込むことが多くなり、澄江が訪ねて行ってもそれまでと違って、登記治が自分の方から話し掛けることは殆どなくなったものの、右症状も、六月三〇日の診察日ころには軽快して、全身状態も良好となった。
7 しかし、昭和五三年七月初めには、登記治は、そのころ送付されてきた労災関係の書類の様式が変わったことから、その記載の仕方も変わるので、書き損じがあったら労災給付金を貰えなくなるのではないか、また、検査を受けて症状が緩解していると労災給付金が打ち切られるのではないかなどと気に病むようになり、毎日訪ねて来る澄江に対して、頻りにそのことを訴えていた。
8 そして、最後の通院日である七月一四日の診察日における登記治の身体状況と、その後の自殺前の登記治の言動や原告及び澄江との状況などは、前記一の争いのない事実中にあるとおりであった。
9 その他、登記治は、昭和五三年三月から六月三〇日(最後の調査日)までの間に、通院の時自ら記入する方式の「呼吸器およびその他調査表」と題する調査表の中で、抑うつ状態の徴憑である抑うつ感を六回、早朝覚醒を五回、朝起床時気分不良を四回それぞれ訴えていた。
以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三登記治のけい肺結核症と本件自殺について
1 登記治の抑うつ状態と本件自殺について
請求原因7の(四)の(1)の冒頭事実のうち、けい肺結核症が不可逆性のものであること、登記治が医師に対して何度もこの病気の不安を訴えていたこと、うつの程度の点を除いて抑うつ状態が登記治の死亡時まで続いたことは、いずれも当事者間に争いがない。
ところで、前記一、二の各事実によれば、登記治は、最初昭和五一年五、六月ころから、胸部痛などの身体疾患を苦にした抑うつ感を訴えるようになり、上尾病院に入院した後も同年一一月一五日ころには、抑うつ状態の程度が中等度に達して鮮明な希死念慮を表明するまでになったが、この状態は昭和五二年三月ころまで持続した。しかし、その後は痴呆症状が次第に登記治の前面に出現するようになり、特に昭和五三年になってからは、医師記録の中に痴呆症状を示す記載が増えて、抑うつ状態を示唆するような記載が殆ど姿を消し、他方登記治は、同年三月から六月三〇日までの間に、医師に対して、抑うつ状態の徴憑である抑うつ感、早朝覚醒及び朝の起床時気分不良などを、調査表に自ら何回も記載するなどしてこれを訴えていたのであるから、昭和五二年三月以降も死亡時まで、登記治には抑うつ状態が依然として持続していたこと(抑うつ状態が持続していたこと自体は、前記のとおり当事者間に争いがない。)が明らかであり、その程度は、高度の状態を示す資料が見当たらないところから、中等度もしくは軽度であったものと推認するのが相当である。
2 抑うつ状態の原因疾患または要因について
それでは、登記治の抑うつ状態の原因疾患または要因は、何であったであろうか。この点について、原告は、けい肺結核症という病気による死の恐怖や不安並びに身体症状の苦痛等によって生じた心因性の抑うつ状態であるから、原因要因はけい肺結核症であると主張し、被告は、抑うつ状態の原因は、器質的原因と心因とが考えられ、器質的原因としては脳動脈硬化症そのものであり、これによる軽度痴呆状態が感情の抑制機能を阻害し、恐怖と不安、葛藤等を増大させ、抑うつ状態を引き起こしたものであるから、原因疾患は脳動脈硬化症であり、けい肺結核症による死の恐怖や不安などの心因は、その抑うつ状態を増大(増悪)させた要因であると主張している。
ところで、登記治が本件自殺当時に脳動脈硬化症に罹患していたことは、当事者間に争いがなく、被告の右主張に副う証拠として、<証拠>がある。右各証拠によれば、抑うつ状態とは、感情の憂鬱と不安とを中心とした、多くは自律神経障害を伴う精神運動活動の停滞した状態である。脳動脈硬化症のような器質性脳疾患は、軽度の場合は抑うつ状態を発現させることが多く(器質性)、また、不安や欲求不満、葛藤などといった心因も長期間存在すると、同じように抑うつ状態を来すことが多い(心因性)。そして、器質性脳疾患が存在し、かつ、心因も存在する場合、現在の精神医学では、抑うつ状態の原因疾患や要因を診断することは、非常に困難ということである。他方、<証拠>によれば、そもそも脳動脈硬化症という概念は、「器質的痴呆がはっきりと証明されず、精神的にもイライラ感、頭重感、易疲労性、感情不安定などといわゆる神経衰弱状態を高齢者が示す場合……暫定的に用いられるのがふつう」であって、これまでこの「概念が漠然と広くなりすぎて、たとえば老人の精神機能障害を何でもかんでも簡単にそう診断してすませてきた憾があった」ために、近年特に「この概念が屑籠的であるという批判」があるとの指摘がなされていて、「あまり専断的な診断名と考えるのは妥当でなく」、「とくに老人では、器質的条件、心理、社会的条件など、多元的な要因で神経衰弱状態を把握するよう務めなければならない。」とされている。したがって、このような困難な事情の存在することを前提として考えた場合に、登記治の脳動脈硬化症は、被告が主張するように、果して登記治の加齢と本態性高血圧症のみによってもたらされたものと断言できるのかどうかについては、いささか疑問なしとしないし、その他にけい肺結核症による死の恐怖や不安などの心理的条件やじん肺患者を取り巻く社会的条件なども、その要因の一つと考える余地はないのか、あるいはそう考える方が妥当ではないのかという思いを払拭することができない。しかし、いずれにしても、登記治は担当医師に対し、けい肺結核症による死の恐怖や不安を長期間にわたり幾度となく訴えてきた経緯に併せ、昭和五一年一一月ころからは、抑うつ状態が中等度に亢進するなかで、鮮明な希死念慮を表明し続け、昭和五三年三月ころ以降は、痴呆症状の背後に隠れたとはいえ、本件自殺の直近まで抑うつ感を訴えていた経過を総合して考えると、けい肺結核症による死の恐怖や不安感などの心因が、単に抑うつ状態の増大(増悪)要因に過ぎなかったものとは到底考えられず、右の心因そのものが脳動脈硬化症と並んで直接登記治の抑うつ状態をもたらした原因要因の一つであったと考えるのが相当である。すなわち脳動脈硬化症も軽度の場合は抑うつ状態を発現させることは、前記のとおりであり、これと右のけい肺結核症による心因とが共働原因となって、抑うつ状態をもたらしたものと考えるべきである。前記被告の主張は採用できない。
3 抑うつ状態と自殺の関連性(特に老人の場合)について
次に、抑うつ状態と自殺との関連性について検討するに、<証拠>によれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。すなわち、
自殺は、直接動機だけでおこるものではなく、まず自殺の準備状態(自殺傾向)が形成され、それに直接動機が加わって自殺の発現をみることになるので、これを考慮すると、直接動機が加わる以前の、自殺者の心理状態を把握することが是非とも必要になってくる。老人の自殺者では、身体疾患を苦にした者が著しく多いのが特徴であるが、家庭内の葛藤・不和も比較的多いとされている。また老人の自殺では、精神病とくにうつ病との関連性が強いのが特徴である。青年層の自殺者の多彩な疾患分類に比べて、老人では慢性脳症状、うつ病、急性錯乱状態、慢性アルコール中毒の四疾患分類のみが考えられるとするものもあり、また、老人における激しい自殺企図は、うつ病と脳動脈硬化症精神障害が全体の四分の三を占め、その老人達は身体疾患を合併したり、妄想を発呈するために自殺に走りやすくなるとされている。老人の自殺と関係の深い疾患として、うつ病の他に初期の痴呆をあげる考え方があるが、しかし、痴呆そのものは、本来、自殺とは関連性を持つものではなく、むしろ痴呆の無批判性は環境に対する満足感をもたらすものである。それにもかかわらず自殺の危険性が高いのは、痴呆の初期において、老人達は精神機能の低下に悩まされ、また非常に苦悩しているからであって、この疾患においても、うつ病の素因を無視することはできないとされている。老人に自殺の多い原因としては、高齢になるにつれて、病苦やいわゆる厭世によるものが多くなってくるが、これは身体的障害や心理的失望により、抑うつ反応をおこし、自殺に至るものが多くなるからであるとして、二次的にうつ状態を引き起こす者も多いことが指摘されている。このように、老人の自殺とうつ状態とは密接な関係にあることが多くの学者からも指摘されているが、一般に老年期の患者にうつ状態を示すことが多いことは明らかであり、このうつ状態は、老人の神経症の一つの特性にも挙げられている。そして、うつ状態にある者は、内罰性もしくは自罰性が強く、また罪業感が起きやすいところから、自殺に至る頻度が他の疾患に比べても一般的に高いが、ただ、うつ状態の極期又は増悪期にある場合は、非常に億劫で自殺する気力もないために、むしろその初期や回復期の緩解期に自殺を敢行する例が多いと言われている。
4 登記治のけい肺結核症と本件自殺との関係について
ところで、本件自殺について、前認定の登記治の抑うつ状態がどのような影響を与えたのであろうか。まず、けい肺結核症による死の恐怖や不安などの心因が、登記治の場合にどのような比重を占めていたかを検討するに、<証拠>によれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。すなわち、
(1) じん肺は、「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう(じん肺法二条一項)。」と定義されているが、その主要な原因は、肺に吸入された遊離けい酸、石綿、アルミニュウム、炭素等の無機性の粉じんが、気管支や細気管支、肺胞領域に沈着し、これを排除するために食細胞などの肺の細胞が防御反応を起こし、やがて繊維状の組織で固められ、あるいは肺結節を作るなどして繊維増殖性変化を主体とした病変を来すものであり、その結果、肺の換気、拡散の各機能、就中ガス交換機能に影響を与えて酸素不足の状態に陥らせるなど、次第に慢性の経過を辿って行き、更にじん肺性変化が嵩じると、肺気腫や肺性心にまで至る不可逆性の疾患である。じん肺は、初期の段階では、殆ど自覚症状のないのが普通であるが、自覚症状としては、大別すると、第一に気管支系のじん肺性変化に対し、外部の刺激が加わって起きる症状として、せき、たん、息苦しさ、胸が重苦しい、胸がぜいぜいする等の症状、第二にじん肺による肺機能の低下によって起きる症状として、息切れ、呼吸困難、胸痛等の症状、第三に心臓に負担がかかるために起きる肺・心臓を中心にした全身的症状として、不眠、食欲不振、めまい、息切れ、動悸等の症状など、その原因によって様々な症状が現れ、この自覚症状も高年齢の患者ほどその訴えが目立つとされている。また、じん肺は、幾つかの肺合併症とも密接な関係があり、その中でも肺結核が発生頻度も高く、じん肺のその後の進展に強い影響を与えるものである。じん肺と肺結核との関係は、粉じん職場で働く人は、そうでない人より肺結核が発病しやすく、じん肺に罹患した人は、そうでない人より肺結核が合併しやすいし、合併した肺結核がより悪化し易いことが判明しており、またじん肺の程度が酷い場合は、優れた抗結核剤もその効果が期待できないと言われている。
(2) ところで、大分県南部地方(佐伯市、津久見市及び南海部郡等)には、平野部が少ないという地理的条件に影響されて、昔から豊後土工(ぶんごどっこ)あるいは豊後のよしさきなどと呼ばれて、炭坑や隧道工事に従事する出稼ぎ労働者が数千人から存在していると言われ、これらの者の中に潜在患者を含めて三〇〇〇人以上にも及ぶじん肺、殊にけい肺患者が出ており、なかには親子二代または三代にわたってこの疾患に罹患している者も珍しくなく、労災給付を受けている者が県下では圧倒的に多いという実情にあったが、佐伯市はその中心地の一つであり、登記治の居住していた同市霞ケ浦地区は、その中でもじん肺患者が集中的に出ている地区であった。そして、佐伯市の場合は、昭和五一年六月ころ、じん肺患者が中心となって「佐伯市職業病友の会」を結成し、じん肺患者の救済活動や労災保険制度の充実を訴える活動等を続けていたが、登記治も近所の人の勧めで、昭和五三年の初めころ、同会に入会し、同会を通じてじん肺やじん肺患者に関する情報を入手できることが可能な立場にあった。
しかし、じん肺患者は、重篤な例を除いては外観上何ら健康人と変わらず、その症状も、軽い運動量で足りる日常の起居動作には、さ程の影響を与えることがないところから、健常者の目には、ともすれば、じん肺患者が無為徒食し、行政を欺いて保険給付を受けていると映ることがあって、そのような誹謗をしたりする者もあり、また、じん肺それ自体は感染しないものの、その合併症としての発生頻度が高い肺結核については、これが多くの人に忌み嫌われているところから、じん肺患者の方が地域住民に疎外されているものと受け止めて、これとの接触を避けようとし、この面から社会的活動が制約されるということも往々にしてあった。登記治も、<証拠>によれば、「けい肺の治療を始めてからの生活は、上尾病院に通院する以外、家にいてあっちに行っては腰をかけ、こっちに行っては腰かけてというような毎日」であり、医師から運動することを勧められて、自宅から約三〇メートル位離れた近くの大師参りをする他は、殆ど自宅から出ることもなかった。
(3) 更に、<証拠>によれば、登記治は、自殺前約六か月の昭和五三年一月一八日から六月三〇日までの間に、「呼吸器およびその他調査表」によって前後九回の調査を受け、同表に自ら記載して訴えた自覚症状は、以下のとおりであり、これに反する証拠はない。すなわち、
呼吸困難は、Ⅱ(軽度息切れ)が二月二一日、Ⅲ(中等度息切れ)が三月八日の各一回だけで、後は全部Ⅳ(高度息切れ)としている。これは五〇メートル歩くのに一休みしなければ歩けない程度の呼吸困難である。
動悸は、ほぼ毎回訴えがあり、二月七日と三月八日は作業時に、三月二三日は就寝時に、後は全部歩行時にそれぞれあるとしている。
せきは、時々出る程度である。二月二一日、三月二三日及び六月三〇日は、時々出るがなんとか日常生活はできるとしている。
たんは、時々出る程度である。四月一七日と六月三〇日は、量は多いが日常生活には困らないとしている。
胸痛は、三月八日と六月一二日は、ない、と答えているが、その他は時々歩行時におきるとしている。
全身倦怠は、二月二一日、三月八日及び四月一七日以外は、全部訴えがある。
脱力感は、二月七日、三月二三日及び六月一二日に訴えがある。
もの忘れ、いらいら感は、毎回訴えがある。
抑うつ感は、三月二三日以降連続六回訴えがある。
朝起床時気分不良は、五月一五日以降連続四回訴えがある。
早朝覚醒は、四月一七日以降連続五回訴えがある。
不眠、睡眠障害は、七回訴えがあり、三月二三日以降は連続六回訴えがある。
食欲不振は、一月一八日に訴えがあっただけで、その後は全く訴えがない。
めまいは、六回訴えがあり、五月一五日以降連続四回訴えがある。
以上の事実及び前記一の争いのない事実中七月一四日の最後の診察日における登記治の身体状況によれば、登記治は、昭和五三年中も自殺時まで、典型的なけい肺結核症の症状を示していたと言ってよく、その中には、呼吸困難、動悸、胸痛及びめまいといった項目で、けい肺結核症による身体的苦痛を推認させる症状があり、それは特に歩行時に顕著であったと認められる。そして、歩行時の身体的苦痛は、登記治をして、外出、特に遠出を控えさせ、また、娘達の付添いが約束されていたとしても、通院に対してさえ少なからず不安を抱かせたものであろうと推認することができる。
更に、その他の項目の中には、前記三の1に認定したとおり、抑うつ状態を示す自覚症状も平行して訴えられており、前記二の6の事実等に照らすと、登記治は、昭和五三年四月から六月にかけて、自宅でも塞ぎ込むことが多くなり、以前のように自分の方から家族に話し掛けることもなくなった状態であるから、右歩行時の身体的苦痛が、この時期の登記治の抑うつ状態とは全く無関係と言っていいものかどうか、大いに疑問の残るところである。
(4) それはともあれ、前記のとおり、まず、昭和五一年八月に佐伯保健所で初めてけい肺を指摘され、同年一〇月六日に上尾病院でけい肺結核症と診断されたことは、登記治にとって相当ショッキングな出来事であったと思われる。その後同年一一月一五日には中等度抑うつ状態と診断され、鮮明な希死念慮を表明するまでになり、この状態は昭和五二年三月ころまで続いた。この間じん肺患者が多数入院する上尾病院での入通院を通じて、じん肺やじん肺患者に関する多くの知識を獲得したことであろう。登記治は、けい肺結核症が不可逆性の疾患であること、病状が進行すると肺の圧迫のため横になることさえできないようになり、この苦しみは想像を絶するものであって、その死に方も凄惨を極めることなどの話しを聞知したに違いないし、恐らく他の肺じん患者らの病状などもつぶさに見聞したことと思われる。そして、同年四月初めの退院直前に見せた夜間徘徊等の意識障害や、同年五月六日の再入院時に見せた作業せん妄等の意識障害の各経験は、登記治にとっては、いくら痴呆状態にあったとはいえ、衝撃的な出来事に違いなかったであろうし、その原因を当然のこととしてけい肺結核症と結び付けて考えても何ら不思議ではなく、またそのことが一層死の恐怖や不安感を強めたものとも推認することができる。これらの知識や経験は、いずれも登記治にとって、即けい肺結核症による死の恐怖や不安という心因に結び付いたであろうし、それだけではなく、前記歩行時の身体的苦痛さえも、その不安を裏付ける現実味のあるものとして、受け止めざるを得なかったものと推認することができる。そうだとすると、登記治の抑うつ状態をもたらした心因の内容には、けい肺結核症による死の恐怖や不安感のみならず、この病気による歩行時の身体的苦痛という要素もあったものと解するのが相当である。そうした登記治の主観的な精神的不安感は、いきおい単独での通院に対して自信を失わせ、その気力を奪ったことでもあろう。一方、このような深刻な心因に対して、その環境に満足感をもたらすものとされる痴呆状態が、これを多少なりとも緩和する方向で作用したことを認めるべき証拠は何もない。
以上のような、じん肺及び合併肺結核症のメカニズム、じん肺患者が置かれている社会的条件、登記治の自覚症状等による心理的条件及び年齢などを総合し、前記3記載の抑うつ状態と自殺との関連性等にも照らして考えると、本件自殺は、脳動脈硬化症と共働して、けい肺結核症による死の恐怖や不安感並びに歩行時の身体的苦痛という心因によってもたらされた抑うつ状態が、長期にわたって希死念慮を形成し、自殺の準備状態を用意するなかで、自殺直前の原告らとの通院や印鑑を巡る遣り取りなどの些細な出来事が切っ掛けとなって、敢行されたものと認めるべきである。したがって、登記治のけい肺結核症と抑うつ状態との間、また抑うつ状態と本件自殺との間には、それぞれ相当因果関係があるものと解すべきであり、結局、登記治のけい肺結核症と本件自殺との間にも相当因果関係があるものと解するのが相当である。脳動脈硬化症によってもたらされた感情の抑制欠如傾向が、本件自殺の敢行される場面でも、これに側面から加功していたことは十分に考えられるが、そのことは右の判断を何ら左右するものではない。
5(1) ところで、被告は、登記治のけい肺結核症はもともと軽度であるうえ、本件自殺直前にはむしろ軽快に向かっていた旨主張する。
しかしながら、けい肺結核症が不可逆性の疾患であることは当事者間に争いがなく、登記治は、結果としてじん肺健康管理区分四の決定を受けて、療養を要しないとされる区分から、療養を要する区分に変更されているのであるから、登記治のそれを軽度というかどうかはむしろ表現の問題であって、肺結核という合併症のことを考えれば、当然の決定であったと言えるし、また、けい肺結核症による死の恐怖や不安感などを登記治の抑うつ状態をもたらした心因の一つとして捉える限り、肺機能障害等の身体症状に著しい悪化が伴わなければ、抑うつ状態が発現しないとも言えないことは明らかであるから、被告の右主張が前記判断を直接左右するものとならないことは言うまでもない。
(2) 次に、被告は、登記治に発現した抑うつ状態等の精神障害の程度も軽度のものであって、本件自殺当時の精神症状は、ある程度落ち着いたものであり、また登記治のけい肺結核症それ自体が重いものではなく、登記治もそのことを十分承知していたので、これを苦にして自殺したとは到底考えられない旨主張する。
しかしながら、前認定の事実によれば、昭和五三年になってからは、痴呆症状が全面に出現したために、医師記録にこそ抑うつ状態を示唆する記載が減少したものの、登記治は、同年三月から最後の診察日となった同年七月一四日まで、担当医師に対して一貫して抑うつ感を訴えていて、特に同年四月からは、自宅でも塞ぎ込むことが多くなり、家族に対しても自分の方から話し掛けることが殆どなくなった状態であって、六月三〇日ころに漸くこれが軽快したというのである。一般に抑うつ状態にある者は、症状の極期または増悪期にある時よりは、むしろその初期や回復期などの緩解期にある時に、自殺を実行する例が多いことを考えると、軽度だからといって、希死念慮を全く形成しないと言えないことは明らかである。また、登記治のけい肺結核症については、前記のとおり、少なくとも療養を要する程度の症状の重さであったことは疑いを容れる余地がなく、そして、このことがじん肺患者の中では決定的意味を持つことも説明を要しないところであるから、このような症状をどう呼ぶかは表現の問題に過ぎない。登記治が自己のけい肺結核症をそれ程重くないと認識していたとの主張については、これを認めるに足りる証拠がない。いずれにしても、被告の右主張は採用の限りではない。
(3) さらに、被告は、登記治の抑うつ状態の原因となった心因の内容には、けい肺結核症による死の恐怖や不安感だけでなく、妻(原告)に対する葛藤と、通院に対する欲求不満とがある旨主張し、これに副う証拠として、<証拠>がある。
① 証人一ノ瀬は、妻との葛藤に関しては、その理由として、原告が東内科に通院中の登記治の病名を覚えていなかったことや、登記治が入院中原告のいる前では食事を拒否したことがあること、あるいは原告が登記治に暴力を振るわれて娘の許に身を寄せた際、食事に対する配慮が足りなくて、登記治が飢餓状態に陥ったことなどを挙げている。そして、これらの事由は、上尾病院の医師記録、看護記録、臨床検査箋、調査表及び処方箋の他は、原告の本件遺族補償年金等の請求に関して、被告が収集作成した原告ら関係者からの聴取書等の一件記録に基づいて判断したものであるとしている。以上の資料はいずれも当裁判所に提出されているところ、証人一ノ瀬は、これらの資料に限った理由を、被告から依頼された私的鑑定であるためであるとし、したがって、原告側に対しては、原告や関係者からの供述を直接聴取するなどの一切の資料収集や資料の提供を求めることはしなかった旨供述している。
しかしながら、これは妻との葛藤に関する限り、極めて不完全な資料に基づいて判断していることを意味するものと言える。前記資料は、いずれも登記治と原告の葛藤を調査することを直接の視野に置いて作成されたものではなく、この点はいわば間接的に得られた資料に過ぎないのであるから、前記資料を前提としたうえで、直接または被告に依頼するなどの積極的な何らかの方法で、原告やその娘達から原告と登記治の葛藤の存在に関する詳しい調査をすることは比較的容易であった筈である。妻との葛藤が、けい肺結核症による死の恐怖などと同列に置いて評価しなければならない程度の心因の一内容であったことを認めるためには、特に家庭内での日常生活上の関係におけるエピソードが決定的に不足しており、当裁判所の証拠調べの結果にもこの点は一切顕れてこない。<証拠>のこの点に関する記載内容も、何らかの病気による長期間の療養生活を余儀なくされて、うつ傾向にある高齢の患者とその妻との一般的関係と、どれ程の違い或いは特筆すべき事柄があるのか判然とはしない。前記資料に照らすと、確かに登記治と原告との関係が極めて良好であったとは決して言えないまでも、この程度の資料のみから、右の一般的関係を越えて、登記治の場合にこれを心因の一内容として位置付けることは、いささか性急に過ぎて相当でないと言うべきである。
② 次に、通院に対する欲求不満についても、<証拠>には、登記治が最後まで通院治療を求めていたのに、原告ら家族の側に通院についての恒常的な心理的保証のなかったことがその原因である旨の記載があり、証人一ノ瀬もこれに副う供述をしている。
しかしながら、登記治が仮に通院に対して欲求不満を抱いたとしても、前認定の事実に照らせば、それはせいぜい最初の退院時である昭和五二年四月八日以降、恐らくは二回目の退院時である同年五月一八日以降のことであろうと思われる。それまでは、曲りなりにも単独での通院が可能であり、登記治が一人での通院に不安を感じ始めたのは、右各退院の前後ころに現れた夜間徘徊や作業せん妄等の二回の意識障害を経験して以降のことだからである。登記治は、恐らくこれ以降原告ら家族の付添いを望んだのであろうが、そうであれば、時には家族の都合で通院に制約を受けることがあるのは当然のことであるから、これに対して、登記治が潜在的な欲求不満を抱いていたことは、十分あり得ることかも知れないけれども、しかし、だからと言って、登記治が、そのような家族の都合を全く理解しようともしない、欲求不満耐性のない単なるわがまま老人で終始したとは思えないし、或いは家族の意向を全く理解できない程度までに痴呆症状が亢進していたのかと言えば、これを認めるに足りる証拠もない。却って、通院の必要性、重要性及びその頻度等については、原告ら家族と登記治との間に認識の相違があったことを窺わせるに足りる証拠はなく、前認定のとおり、登記治は、その後一年以上にわたって、ほぼ二週間に一回程度の割合で概ね定期的に、原告や娘達に付き添われて通院を果していることを考えると、或いは具体的通院に対して、個別に不満を抱くことはあったかも知れないし、またその不満が自殺の準備状態に対する関係で、自殺を実行させる切っ掛けとなることはあり得たかも知れないが、登記治には常時通院に対する欲求不満があって、これが抑うつ状態をもたらす心因の一つになっていたとは到底考えられない。むしろ、通院に対する欲求不満と言っても、元を質せばけい肺結核症による身体症状等の悪化など、同疾患に対する恐怖や不安がその根底にあることは明らかであるから、通院に対する不満が大きいことは、その病気に対する恐怖や不安がそれだけ大きいことを意味しているものと言えるのであり、いずれにしても、被告の前記主張は採用することができない。
四本件自殺の業務起因性について
登記治のけい肺結核症と本件自殺との間には、前認定のとおり、相当因果関係があることは明らかであるので、以下、本件自殺の業務起因性の有無について判断する。
1 自殺と業務起因性との関係について
まず、業務上の疾病による療養中の労働者が自殺した場合に、それが業務上の事由による死亡と認められるための要件は何かという問題である。
この点について、被告は、業務上の疾病による療養中の死亡であっても、その死亡についてその労働者の「故意」による自損行為が介在している場合は、労災保険法一二条の二の二第一項によって業務起因性が否定されていることを理由として、自殺の場合には、それがその労働者の「故意」を否定しうる状況の下でなされたこと、すなわち自殺時の精神状態が極度の精神異常又は心神喪失の状態にあり、かつ当該業務上の疾病と右心神喪失等の状態をもたらす原因となった精神障害との間に相当因果関係のあることが必要である旨主張する。これに対して、原告は、自殺意思の形成が業務ないし業務上の疾病と相当因果関係にあることを要し、かつこれをもって足り、右の規定における「故意」とは、業務上の原因と無関係に労働者が行う自損行為における「故意」を指すものというべきである旨主張する。そこで、以下この点について検討する。
労災保険法一二条の二の二第一項は、「労働者が、故意に負傷、疾病、障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは、」保険給付を行わない旨規定しているところから、「故意に……死亡」したときは、一般的に業務起因性を否定しているかのように見えないわけではない。しかしながら、例えば身の危険を顧みることなく人命救助等の緊急業務に従事して死亡した場合などの、未必的故意を含めた故意一般の場合を、業務起因性の判断の対象から排除したものとするこの規定の解釈が極めて不当であることは明らかであるから、死という結果に対する認識認容があったからといって、それだけで故意があるとして、一律に保険給付の対象からこれを除外して考えるのは相当でないと言わなければならない。すなわち一般的に自殺者が死という結果を認識し、認容していたとしても、現実にはそのこと自体が当該自殺者の置かれている諸条件に制約された結果なのであり、それらの諸条件を離れて死を認識し、或いは認容することなどあり得ない筈であるから、むしろ自殺者がどのような条件のもとで、自殺を余儀なくされたか、またはどのような意図のもとに自殺を企図したかを考慮し、これが労災保険制度の趣旨に鑑みて保険給付の対象となるべきかどうかという観点から、当該自殺の業務起因性を判断するのが相当というべきである。そして、その諸条件のなかでも主たるものが、自殺者の年齢や身体的、心理的状況、自殺者を取り巻く四囲の状況その他自殺に至る経過、就中自殺意思を形成するに至った要因や事情等であるから、これらの要因や事情等を精査し、これが業務との関連性を有するか否かを労災保険制度の趣旨にも照らして勘案し、個別具体的に当該自殺についての業務起因性の有無を判断すべきものである。そうであるとするならば、自殺に関しては、療養を余儀なくしたその業務上の疾病との間に相当因果関係が認められる場合は、労災保険法一二条の二の二第一項の「故意……死亡」した場合には該当しないものと解して、業務上の事由による死亡と認めるのが相当というべきである。したがって、同条の「故意」とは、業務上の疾病との相当因果関係の系列には属さないところの、他の原因や動機に基づいて行われた自損行為における故意を意味するものと解するのが相当である。
ところで、被告は、自殺が業務上の事由による死亡と認められるためには、自殺時の精神状態が心神喪失等の状態にあり、かつ業務上の疾病と右心神喪失等の状態をもたらす原因となった精神障害との間には相当因果関係のあることが必要であって、しかも右心神喪失等の状態をもたらした原因が相対的に有力であることを要するとし、以上の要件が満たされない限り、同条の「故意に……死亡」した場合に該当するとして、右自殺には業務起因性が認められず、保険給付は制限されるべき旨を主張している。しかしながら、右の主張は、心神喪失等の状態をもたらした原因が相対的に有力でない限り、業務上の疾病と精神障害との間に相当因果関係は認められないというものであって、かかる見解は、右に説示したとおり当裁判所の採用しないものであり(当裁判所の見解では、右主張は単に右の要件があれば当該自殺について容易に業務起因性を認めることが可能であるという当然の事実を述べているに過ぎないことになる。)、それは、同条項の文言の何処からも、心神喪失等の状態での自殺のみが業務起因性の要件であるとか、或いは心神喪失の状態をもたらした原因が相対的に有力でなければならないとかの解釈を導き出すことはできないし、またそのような厳格な解釈は、労災保険制度の趣旨に照らして、あまりにも狭過ぎるものというべきであるからである。被告の右主張は到底採用することができない。
2 本件自殺の業務起因性について
登記治のけい肺結核症は、前認定のとおり、労働基準法七五条二項、同法施行規則三五条別表第一の二第五号のじん肺合併症に該当する業務上の疾病であることは明らかであり、登記治は、じん肺健康管理区分四要療養の決定を受けて現に療養中に自殺したものであって、本件自殺と登記治のけい肺結核症との間には、前認定のとおり、相当因果関係があることも明らかである。そうだとすれば、本件自殺は、労災保険法一二条の二の二第一項には該当しないことになり、業務起因性があるものとして、労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条の規定する「労働者が業務上死亡した場合」に当たると解するのが相当というべきである。
五結論
以上の説示のとおり、登記治の死亡について、業務上外のものであると認定してなした被告の本件処分は、違法であって取消を免れないから、原告の請求を正当として認容し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官山口毅彦 裁判長裁判官最上侃二は転補のため、裁判官和田好史は退官のため、いずれも署名捺印することができない。裁判官山口毅彦)